熊野古道・小辺路

登山組みの一同


 山行報告   
 報告者   :   山下 隆
 山  名 熊野古道・小辺路  山行名 例会
 ルート 高野山ー大股・・叔母子岳・・三浦峠・・果無峠・・八木尾ー熊野本宮ー渡瀬温泉
 山行日  平成23年4月29日ー5月1日  天候  晴れー晴れー曇り・雨
 参加者  CL :  山下 SL : 岡部

男性 : 秋月、梅澤、後藤、倉光、金本、白波瀬、佐坂、西上、畑、広瀬、樋口、村上、山口 : 15名
女性 : 河合、河野、加藤、岸田、染矢、徳田(幸)、西上、藤富、姫島、堀尾、吉津、頼 : 12名

合計 : 27名  
 ルート外概略図とコースタイム
 
詳細 ルートや写真はこちらをクリックして下さい。
提供:岡部さん
 山行報告
 山下 隆

山行報告山下隆H18年秋の紅葉の時期に那智と熊野本宮を結ぶ大雲取・小雲取超えコース(中辺路)を歩いた時は半分雨にたたられ、峠越えは100%達成できなかった。H21.4月の伊勢路では天気に恵まれた3日間で、伊勢路の中のいいとこ取りが出来、石畳の古道もしっかり味わった。3回目の今回はまったく観光ズレしていない小辺路とした。昔もこの路は険しく、今でも交通の便が悪く行き難い。山友会の例会にふさわしい難度の3峠超えだ。旅行会社の案内では下山口から離れた所に車で移動しての宿泊となっている。昨年の5月頃から情報収集を始めた。案内本では、初日の宿泊予定地にしている三浦口には宿泊施設が無いとの記述だったが、役場と直接接触すると、定員14名の岡田屋さんを紹介してくれた。大勢だと、近くの農家に分宿の方法もあるとのこと。今回泊まったロッジはその後に整備されたようだ。2日目の十津川温泉は沢山の宿があるので、宿泊は心配ないと安易に考えていた(これが本番では裏目に出た)。 

 談風会や例会の折、熊野古道の計画中との話をしたら、賛同者が次第に増えた。「かんなび」に案内を出す頃に満員になったらまずいので、その前に例会の感想文の中に「関心ある方は連絡下さい」と小さくPRした。H23.3月号に案内の原稿を書く2月中旬には23名と嬉しい悲鳴。「かんなび」が配布されると、翌日には28名のマイクロバス一杯の満員御礼となる。当日までキャンセルも無く、数名の方には申し訳ないことをしてしまった。大型バスでは道中に狭い林道があり無理だった。

 今回は参加者全員に何らかの役割分担をしていただいた。班長、会計、エチケットリーダー、バーナー、ロープ、救急品、記録、学芸員(歴史・寺社/動植物)、忘れ物、弁当手配、お菓子事前購入、飲料車内販売、地図、無線、GPS。夕食後の団欒では各担当者に感想をのべていただき、大笑いしたりした。中でも、ポイント・ポイントでのビールの車内販売は大人気。気配りは様々だった。皆様のご協力ほんとにありがとうございました。追加したい役割は歌係りとリュック係り。帰路の渋滞に巻き込まれ、車中で合唱が始まる。記憶が定かでない歌詞を補う歌集が皆にあったらと。又、後者はバスの荷台からのザックの上げ下げが頻繁にあり、馬力のある方々に今度はお願いしたい。

 世界遺産としてPRされているコースゆえ、観光案内書は丁寧で標識もしっかりしているので、分岐点で注意すれば、道迷いの心配はなかった。前回はピンクのテープに惑わされ、1hrロスしたが、今回のこのコースもあの時と同じ色のピンクのテープがあり要注意だ。全体に道幅は広く、整備されているが、所々は荒れていたり、危険なトラバースがあったり、狭い馬の背があったりと危険箇所は結構沢山あった。ただ「頭注意」の声掛けはほとんど不要で、石畳もきわめて少なかったせいか、すべりは2-3回あったがヒヤリは幸いに無かった。

 初日、途中の高野山に寄り、金剛峯寺で旅の安全祈願をし、大股の登山口まで狭い林道を行く。最初の2日間は晴天に恵まれ、関西百名山の伯母子岳からは期待通りの360度の展望だった。2日目は三浦峠を越えて13:20には下山し、ミステリーバスツアーとなる。特に森林公園での色とりどりのシャクナゲは丁度満開で一生分位?は見たかな。3日目は降水確率80%で雨の覚悟。雨量の多い熊野ゆえ仕方ないことだ。山に登る人とバスでの観光組みに17:11人に別れた。観光組みは運転手さんに無理をお願いし、玉置神社と熊野本宮が水害前にあった大斎原(おおゆのはら)散策。山組みは地元の語り部をしている方から偶然入手できた情報で、果無集落まで車で送ってもらうことが出来、30-40分・標高差200mの短縮が出来、下山後の入浴の可能性が引き寄せられた。33体の観音像の道案内に従う。果無峠までは雨も無く、雲海も時々見え、この天気ならではの熊野古道の幽玄さを味わえた。峠で集合写真を撮った直後からは雨模様となったものの風は少なく助かる。一気に下って、観光組と合流し、昼食は熊野本宮の駐車場となった。3峠超えの間に出会った人は合計で約20名と静かな山行だった。観光組も玉置神社・大斎原に満足の様子でした。熊野本宮で無事を感謝する。最後は湯船の大きさが自慢の渡瀬温泉で疲れを取り、帰路へ。高速道路は休日1000円効果で途中大渋滞もあり、Hさんのリードで懐かしい歌を歌いながら、予定より1時間以上遅くなった。

 残念だったのは十津川温泉の民宿Mだった。歴史のある温泉村ゆえ、民宿といえどもそれなりの対応をしていただけるものと思い込んでしまい、全員が一緒に泊れる民宿を予約した。ネットではチャントした露天風呂もある。ところが、この露天風呂が問題で、蛇口は一つで水しか出ない。内風呂は3人やっと入れる広さ。前日の三浦口の「岡田屋」は予想に反してすばらしく、女将さんや娘さん達の笑顔での歓待だけでなく、料理・風呂・食堂・寝室も想定以上だったので、余計に民宿Mの設備・客や運転手への応対の低さが目だった。両者合わせてマズマスと思うより仕方ないか。

 平安バスの運転手や皆さんのご協力で事故もなく無事帰ってこれ、感謝です。

又、来年の同じ頃に、まだ行っていない大辺路のいいとこ取りのハイキングを夢みています(紀伊田辺〜勝浦間の海岸線や200300mの峠を越え、景色と魚料理をエンジョイする)。

 

峠超え実績;

  

歩行距離

所要時間

標高差m(上り・下り)

伯母子岳

17km

6:30

546846

三浦峠

12km

5:35

680700

果無峠

9km

4:45

7001000

所要時間は計画より約30分(1,2日目)〜50(3日目)短くてすんだ。

感想文
 梅澤宗平
 山は僕の学校です―熊野古道 小辺路登山
 

山行途中で突然「山は僕の学校です」の言葉が浮かんだ。2日目のことである。直前に秋月さんからザックの修正をしてもらっていた。秋月さんの前には岸田さんからも指導を受けた。今回は60L/重さ15kg超のザックを準備していた。中には弁当、行動食、ピンガ500cc、ポット1L、ポカリ1.5L、上着、着替え、洗面用品、10mザイル、シュリンゲ、カラビナ、ダブルストック、ツェルト、救急道具、ランプ2個などが入っていた。ザックは荷物に応じてショルダーベルトの高さを調整できるタイプでそのために調整用のロープが何本もある。結論から言うと調整用のロープの位置が悪かったのと締め付けが十分でなかった、腰ベルトの締め付けも足りなかったのである。秋月さんの修正のあとザックを担ぐとザックが小さくなった感じがする。前はいちびりで子供が背中にぶら下がっている感じがしていた。購入して何回か山に行ったがこんなものだと思っていた。岸田さんと秋月さんに感謝です。

熊野古道は今回が初めてである。仕事で3回新宮市に行った。1回は大台ケ原の麓を通る道、1回は瀞峡の上を通る道、1回は田辺まで高速を利用する道である。新宮に行くと毎度、熊野古道を宣伝していた。いつか行ってみたいと思っていたが今回、山下CLの企画でのその願いが実現することになった。山下CLに感謝。

小辺路は高野山と熊野本宮大社までのルートである。1日目は高野山金剛峯寺で安全祈願をしてからバスで大股に行った。大股のバス停で体操をしてから登り始める943分。今回、1班の班長兼ロープ係兼エチケットリーダーを拝命した。構成は女性4名、男性5名である。班長ということもあって班の先頭を行く。しんがりは秋月さんに勤めていただく。桧峠と伯母子峠の中間に伯母子岳がある。分岐から伯母子岳頂上1344mを目指す。途中、加藤さんのザックを秋月さんが担いでいることに気づく。このことは2日目の夕食時に染矢さんから「1班の班長はまわりを見ていない」という指摘に表れている。ここでも「山は僕の学校です」を経験する。その後、上西家跡や茶屋跡を通り1715分ごろ伯母子岳登山口に下りる。佐坂さんの機転で冷たいビールを飲むことができました。感謝。

2日目の朝、宿泊場所「神納舎」の周りを散策。染矢さんの朝練にも立ち会う。750分過ぎ三浦峠越えに出発する。この日、班長は最後尾につける。三浦峠の手前で下を見ると三浦集落が見える。「神納舎」も見える。心のこもったおもてなしを受けた気がする。矢倉観音堂で昼食にする。バーナー係染矢さんのおかげで熱いコーヒーを飲むことができた。感謝。その後、西中バス停で平安バスと合流し、吊り橋と滝とシャクナゲ祭りを観光した。玉置神社には残念ながら到達できなかった。宿では硫黄のにおいのする露天風呂に入ることができた。湯量と湯温はいま一であったが。それよりも天気が心配であった。今回のルートは明日がメインと聞いていた。世界遺産らしいところを歩ける筈である。夕食時に女性陣のほとんどは果無峠越に不参加ということを聞いた。

3日目の朝、小雨が降っている。途中まで国道168号を使い果無集落までバスで行くことになった。下を見ると霧がもくもくと上がっている。登り始めるとすぐ石畳である745分。やっと世界遺産らしいところを歩くことができた。果無峠登山口の道標のある場所はわらびの群生地であった。そういえば昨日の宿の地名は「蕨尾」ではなかったか?パンフレットにある通り「三十三観音像に見守られながら歩く」。詳細は畑記録員の報告を待ちたい。田んぼ跡に到着824分。こんな場所にまで田んぼを作ったことに驚く。果無観音堂に到着911分。その後本宮町が見える9時半。遠く新宮が見える11時。雨に濡れた石畳は美しい。が僕も含めて何人かが滑った。1224分八木尾バス停に到着。山下CLが一人一人と握手。その後、本宮大社に参詣し、渋滞に巻き込まれながらも9時過ぎに松井山手に到着。山下CL,岡部SL、その他大勢の方々ありがとうございました。


聖地を巡るバスの旅
白波瀬 勇

最終日のコースは、本来なら十津川を出発して果無峠に登り八木尾バス停に至るコースを歩くことになっていたが、雨天で残留することが許された11名は、リーダーと運転手さんの特別なはからいで聖地めぐりのバスの旅をさせて頂いた。玉置山に向かう車中は、今回の民宿の話題で持ち切りだった。全く対照的な民宿の接遇・料理や風呂のことなど話は尽きなかった。

玉置山(たまきやま)

玉置山は標高1076mで熊野三山の奥の院として開けたところである。駐車場で下車し玉置神社に向かう。どうやら雨もやんではいるが登山組の皆さんのことが気にかかる。

途中から下りとなって沿道にはシャクナゲの群落があったが高地なのでまだ蕾、開花すれば見事に違いない。1000mのところに神社があり一帯には杉の巨木が数多く生育していて、いやがうえにも奥山の雰囲気が漂ってくる。森林浴の道や日本の散歩道百選になっているだけあって趣のある神域である。神社に参拝後、樹齢1000年といわれ風格を湛えた神代杉(じんだいすぎ)に立ち寄る。この木は高さ45m、幹の周りは10mもあって、上から眺めるのと全く違って樹のそばへ行くとさすが奈良県下一の巨木の雄姿に圧倒される。

帰り道で目に留まったのが天然記念物の枕状溶岩(まくらじょうようがん)説明板によると深い海の底から噴き出した玄武岩質のマグマが固まったものと書かれていた。

大斉(おおゆの)(はら)

この神域に入っていきなり目立つのは、高さ33.9mの日本一高い鉄筋コンクリート造りの大鳥居がそびえたっている姿である。

熊野本宮大社は、明治22年(1889年)の大洪水によって流されるまで元々この熊野川の中州にあったという。大洪水で被災した上流の十津川村集落の住民は故郷を捨て600家族、2489人がはるばる北海道を目指す旅に出る。様々な苦闘の末、新十津川村を造った。その物語は10年前、「新十津川物語」で斉藤由貴が主演(主人公津田フキ)でテレビドラマ化され感動したNHKの放送であった。時あたかも東北大震災の惨状と重なって複雑な思いに駆られる。

雨は32夜間断となく樋の水をぶちまけたかのように降り続き、山津波・山抜け・山潮と呼ばれ死者168人が犠牲となった。

道の駅に立ち寄り昼食を済ませ、後30分すれば下山するとの報を受け予定通り歩きとおした17人の皆さんを迎える為バス停に向かった。聞くところによると小雨程度で達成感いっぱいの元気な足取りで到着し健闘をたたえあった。

合流した一行は、雨の中を熊野本宮大社に参拝した後、西日本最大の露天風呂のあるわたらせ温泉で疲れを癒し帰途に就いた。